ここでは様々な映画を独断と偏見でレビューしていきます。目指せ10000本!!
アバター ジェームズ・キャメロン監督
2009年 アメリカ
評価 B
知らぬ間に2週間あいてしまった・・・
すみません。
自分で映画撮ったり、そのために準備したり、
いろいろやっていたらすぐに月日が経っていたのですよ。
ほんと、あっという間だなぁ。
意図的にストーリーや比喩表現をある程度考えて制作する場合に、
現場のアプローチは2種類ある。
画を規定して、その場所に役者を立たせ、脚本通りに演技をするケース。
役者には役に入りきってもらい、演じている間にそれをカメラが追うケース。
要は役者優先かカメラ優先か、どちらで映画をつくるのかという問題です。
9割以上の映画はカメラ優先です。見かけ上は役者を優先しているように見えても、
カメラに合わせて役者が動いていることの方が多いんじゃないかね。
この撮り方は脚本通り撮れるけど、自主映画だと突き抜ける瞬間が少ない。
良いシーンにするには役者以外による偶然に頼ることが多い。
役者の演じるキャラクターに魂の宿る瞬間がないんだよな。
しかし役者に委ねてキャラクターをしっかりしようとすると、
当然思ったとおりの画は撮れない。
役者はカメラのために動いてくれないからね。
カメラも役者も一級のプロではないから、
これは非常に厄介な問題であると思う。
撮り方の問題は、
観客の想定をどこにするかということとも絡んでくる気がする。
まぁそれはまた今度。
噂のアバターきました。
映画の黒船がまた日本に襲来ですよ。
3Dの恐ろしさ、これに尽きる。
この作品の感想なんて、
3Dによるパンドラのすごさしかない。
虫が飛んでいる感覚、
前にナヴィがいる感覚、
肉食動物に襲い掛かられる感覚、
視覚が立体的になるだけで、
映像はこうも簡単に「体験」になってしまうのかとひたすら驚いた。
もはやこれは映画ではないと思う。
違う、映画の指す意味が違ってくるのか。
それは大問題だろう。
アバターが全米興行歴代1位を獲得したことで、
少なくともハリウッドは二匹目のドジョウを狙ってる。
3D超大作はどんどん増えると推測されるんだよね。
そうなると、映画=3Dによる「体験」みたいになる可能性もゼロじゃない。
これは困る。ひじょーに困る。
自主映画の活きの良い人材の活路はなくなり、
「表現手段としての映画」が駆逐される。
つまり、アバターの想定している観客全員が3D系の映画しか観なくなってしまう可能性があり、
そうなると普通の映画は撮る意味すらなくなってしまうっつー極論。
この極論までいかなくても、3D映画は同じような現象を起こすと僕は思ってる。
その推測に乗っかると、普通の映画は市場自体から排除されていく方向になるはずだよ。
何故なら3Dで派手でもない作品は、観客に求められていないものであるから。
求められていないなら、配給側や資金提供者にとって、その作品を作る旨みがなくなってしまう。
資金提供者が売れそうな映画と売れなそうな映画の見極めをするとき、
「3Dかどうか」という物凄く一元的な視点を大切にしてしまう危険を孕んでる。
普通の映画との棲み分けがあったとしても、
昨今のハリウッド情勢を更に極端にしたような、
売れるのはバカ売れ、売れないのは買い手もつかず・・・
という方向はまず間違いなく進行するんじゃないかな。
買い手のつかない映画でわりを食らうのは、普通の映画なんだよね。
そーゆーわけでこれからの「3Dでも派手でもない映画」を考えるなら、
少なくとも3D映画を意識した製作をすべきだ。
それは敢えてミニマリズム的な方向の映画であっても良いし、
手持ちカメラによるドキュメンタリー性を追求してリアルさを売りにしても良い。
とにかくこれからは
「観客を想定すること」
映画を制作するときはこれに尽きる。
そしてその観客の層や嗜好まである程度想定しなければダメ。
3Dが普及してくるってのに、
いまだに普通の観客には意味の分からない映画を撮る必要性は皆無。
その作品で満足するのは自分だけで、刻一刻と映画は蝕まれていると心得るべし。
★こんな人に
往年の映画好き
★映画のお供
3D眼鏡!!