ここでは様々な映画を独断と偏見でレビューしていきます。目指せ10000本!!

グラン・トリノ A 岡田

グラン・トリノ クリント・イーストウッド監督
2008年 アメリカ


評価 A


いっせい君
そうだ。君に対して(笑)
まぁいずれオレの手ブレアップ観を話そうと思ってたんだけども。
いっせいはどうも最近の北欧映画とかが肌に合わんようだから、
ばっちり肌に合うオレの見解をちょっと示してみたのよ。
まぁ嫌いと言われたら仕方ないわい。
こればっかりは女性が資生堂とロレアルどっちを使うかとか、
ビールとワインどっちが好きかとか、それくらいの嗜好性かもしれん。
ただ、オレにはダルデンヌやスザンネ・ビアのカメラの向こうに、
ちらりと見えるんだよ。芸術の尻尾がさ。
すぐ逃げちゃうんだけどね。

まぁ懐古主義と温故知新は違うものであるわけで、
古きよき映画を愛する人間には後者を期待しているのさ。
「リアルタイムに衝撃的な作家に会えぬ不遇な時代」と嘆かずに、
願わくばその衝撃をいっせい自身の手から。ね。
オレは生きている間に映画が芸術の仲間に入る瞬間を見たいの。

腰と根性がひん曲がった、ヌーベルバーグしか認められん、
どっかにいそうな偏屈爺さんにはならないでくれ。
100歳になってもいっせいはオレに新しいショットを見せてくれ。
そのときオレはまだ98歳くらいだろう、まだまだどこの臓器もやられてないな。
期待してるぞ。


グラン・トリノ



長年一筋で勤め上げたフォードの工場を引退し、妻にも先立たれた孤独な老人ウォルト・コワルスキー。いまや、彼の暮らす住宅街に昔馴染みは一人もおらず、朝鮮戦争帰還兵の彼が嫌ってやまないアジア人をはじめ外国人であふれる通りを目にしては苦虫をかみつぶし、亡き妻に頼まれたと、しつこく懺悔を勧めてくる若造神父にも悪態をついては追い返す日々。自宅をきれいに手入れしながら、愛犬デイジーと72年製フォード車グラン・トリノを心の友に、お迎えが来るのをただじっと待つ退屈な余生を送っていた。そんなある日、彼が大切にする自慢の庭で、隣に住むモン族の気弱な少年タオと不良少年グループがもみ合っているのを目撃したウォルト。彼らを追い払おうとライフルを手にするが、結果的にタオを助けることに。タオの母親と姉がこれに感謝し、以来何かとお節介を焼き始める。最初は迷惑がるものの、次第に父親のいないタオのことを気に掛けるようになるウォルトだったが…。

はい、映画人としては異例の遅さで観てまいりました、グラン・トリノ。
まず、映画には評価しうるいくつかのポイントがあります。
まぁざっくり大きく分けると、
演出とカメラの二種になるかなぁ。
ここで言う演出はグラン・トリノ的演出ね。
意味するところは考えるのでなく感じてくれ(笑)
で、この二つの両立は大変に難しいと思うわけ。
特に画面上の何かに意味を持たせる場合、うるさい主張をするカメラワークだと好ましくないと思うわけ。
それはハンバーグにマヨネーズをかけるくらいのしつこさ(たまにこういう味付けが好きなやつがいるから困る)ですよ。
んなわけで、演出とカメラのどっちかに重点をおくのが通常。

カメラワークがすげー映画ですが、
これは大体において映画オタクたちに愛されます。
しかし普通の観客たちには愛されません。

演出がすげー映画は皆に愛されます。
映画オタクにはたまに認められません。

まぁ映画オタクは世の中で言うデブ専とかB専になるのかも。
とにかく観るポイントが違うわけよ。

で、この映画は皆に愛される映画の方。
カメラは全然すごくない。
全く印象に無い。


演出はすごい。
これは要は人種の映画なわけ。
グラン・トリノは典型的アメ車。
エンドロールは道路をいろんな車が通っている映像。
日本車、イタ車、ドイツ車・・・
先頭は・・・○○が乗った、○○車。
これはイーストウッドのちょっと趣味の悪い主張と見ていいのか?
硫黄島と父親たちに続く三部作かっつーの。
という面白さがありました。

また、もう一つのファクターとして神や生死といった、
ある種超自然的な概念を出してきますが、
それの扱いは良かった。
特に懺悔について、神父には最後の最後までうわべの懺悔しかしないが、
同じような壁を隔ててタオに魂の懺悔をする構成がなかなか。

タバコ(その他偏屈な日常)&ライター&勲章の扱いも見事。
ライターが手から離れる瞬間が、過去から解放される瞬間になるわけだな。
しかし勲章はまた繰り返す証・・・

フリーザーのシーンが時代性と映画の中の転換を表す演出なんだけど、
これについてはややあからさますぎる気がした。
下から支え押し上げるという。

もう一つ、やはり肝となるのは終盤に登場する警察から見る社会全体のひずみだろうね。
デトロイトのあの地区には比較的貧しい人たちが住み、そのために治安も悪い。
貧しい人があの状態から脱する可能性はものすごく低い。
アジアンギャングが、黒人ギャングが、
自身のせいだけでギャングになったわけではないことを再考しなければならない。
警察(通常認知される社会)には様々な人種がいて、調和が取れている。
しかし警察の飯の種は今回、貧民だったんだ。
だから、貧民は社会全体には必要で、しかも上から押さえつけられるから貧民は地力で脱出できない。
神ですら無力に追い返されて、誰も救えなかった。
その構図こそが、映画が孕むもっとも包括的な問題かも。

まぁ少々描写過剰な気がしたけど、
全体的にはやはり良い出来だなと感じました。

★こんな人に
黒人・白人・アジア人
ヤムヤム

★映画のお供
チキンの団子
ビール
ビーフジャーキー

Last updated at :2009/09/23(Wed) 17:34
Publish at :2009/06/01(Mon) 23:00

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