ここでは様々な映画を独断と偏見でレビューしていきます。目指せ10000本!!

アフター・ウェディング A 岡田

アフター・ウェディング スザンネ・ビア監督
2006年 デンマーク


評価 A


こんちは。
最近はジャームッシュ映画フェスタを自分の中で開催してました。
が、それも終わりました。
今日からはスザンネ・ビア映画フェスタ第二幕。

何かあんまりメジャーじゃないんだけど、個人的に結構気に入ってるんだよね。
スザンネ・ビア。


以下、友人へ私信。

まぁ僕の映画に対しての立ち位置表明でもあるので、気軽に読んでください。
構成とか考えてないからまとまりないですけど。
二回に分けましょう、長いから。
ちなみに「最近の手ブレのアップの傾向が嫌だ」という友人に対して。


ブログみたぜ

そんなに
アップで手ブレ
が嫌かぁ?笑 

オレは最近の手ブレやアップは、
かつてフランスの町並みを執拗に写したり、
アメリカで破滅的なフィルムが流行ったように、
一つの潮流なんじゃないかと思っている。

そしてそれは
芸術が印象派を脱却するために技術を否定したり、
レディメイドを発展させてインスタレーションに辿り着いたのと
同じ行為だとも思っている。
つまり現代までの既存の映画から脱却したいという意志の表出ということだな。

不思議なことに、
現代アート(主にインスタレーション)が描き出す葛藤や、
脱却を試みているアートシーンは、手ブレアップの概念や葛藤と重なる部分がかなり多い。
そして逆にインスタレーションの中にも映像を使うものが増えている。
映画と芸術としての映像の境目が曖昧になっているのは確かだと思う。
空間を演出するに際して、映像は相性も良いしね。

ここで注意したいのは、映画はまだ芸術の域に入れていないということだ。
オレが示したいのは、映画が芸術の中に入るためにどうアプローチしているか・・・だ。
その映画を芸術に昇華したい意志がある種記号的な画になる、
顔の造形を手ブレで撮るという行為なんじゃないか。
まぁ後述する。ここでは映画が芸術でなくただのメディアであるということだけでいい。

森美術館の万華鏡展いったかい?
全体的にあまり良い内容じゃなかったが、
確か中にいくつか映像を使った作品があっただろう。
なんていったか・・・
ホラー映画フィルムを直接切り貼りして作られた作品。
あの作品は、非常に現代のアートを象徴していると思う。
なぜなら、「レディ・メイド」であり、「映画そのもの」であり、「インスタレーション」でもあるからだ。
この作品は、アートと映画の境界線をなくしたいのだろうな。

・・・続く。





インドで孤児たちの救援事業に従事するデンマーク人、ヤコブ。運営している学校の財政難に頭を悩ますヤコブのもとに、デンマークの実業家ヨルゲンから巨額の資金援助の申し出が舞い込む。そして面会したいというヨルゲンの求めに応じて、久々に故郷デンマークへと戻ったヤコブ。面談を無事終えたヤコブは、ヨルゲンから週末に行われる娘アナの結婚式に強引に招待され、断り切れずに出席することに。ところが、そこに待っていたのは思いがけない人との再会、そしてさらなる衝撃的な事実だった。あまりのことに激しく動揺するヤコブだったが…。


アフター・ウェディング。
個人的に撮影技法が気に入り、DVDを購入した作品。
あまり日本ではメジャーじゃないのかな?


この映画は、何の特徴もないようでいて、何だか変に心に残る。

撮影の技法上は、ドグマ出身の監督だけあって、かなり手撮りが多い。
ここで断っておくと、僕は手撮りが好きだ。
アップも多い。それがただ好き。


でも、この映画の最大の魅力はそこじゃない。
人。人の感じ。
描かれている人たちが、みんな善人であり、かつずるい一面もある。
インドの子供たちを育てていたが、デンマークに出張にきた人がいる。
努力と実行力でビジネスに成功し、家族と幸せに暮らす人がいる。
成功したビジネスマンと家族と幸せに暮らしていて、ある日突然昔の恋人に遭遇する妻がいる。
何不自由なく育ったが、ある日突然本当の父親に遭遇する娘がいる。
誰もが皆、善人で悪人。
そのリアリティがこの映画の肝だ。


たとえばここに、アフリカの貧困をなくすために日々自分のすべてを賭けている人がいるとしよう。
彼はその状態になるまで、いくつかの選択をしてきたはずだ。
メディアで見て、自分の手でどうにかしたいと考えたのかもしれない。
幼いころから両親に将来は世界のために働くよう教育されてきたのかもしれない。
とにかくそこには「貧困を救うためにすべてを賭ける」選択をした人がいる。

もう片方、ここに毎日引きこもってエロ動画を落として暮らす人がいる。
誰のためにも生きず、ただ自分の刹那的な欲求にしかベクトルがない人。
彼はその状態になるまで、いくつかの選択をしてきたはずだ。
幼いころから勉強も運動も出来ず、何より努力が出来ず、そのまま生きてきたのかもしれない。
一年前までアフリカの貧困を救うためにすべてを賭けていたが、ある日それが無駄だと感じて引きこもったのかもしれない。
とにかくそこには「刹那的な欲求のためのベクトルしか持たない」選択をした人がいる。


どちらが立派かなんて、自明だ。
でも立派な理由はアフリカを救おうとしている彼が持つ理想のためではない。
彼の意思が立派だからでもない。
どんな経緯があったにせよ、その行動自体が立派なのだ。
だから、彼が「アフリカの子供に良くしておけば、オレの将来のビジネスに好影響があるからな」という、
打算的な考えでやっていてもそれは立派なわけだ。
だって、本質的にはその行動をすることで「自分も満足している」ということには、変わりない。
その行動は何であれ、「自分の満足のため」であることは必ずなのだ。

この映画は、
「一見他人のために見えて、それは自分のためでもある・・・」
という非常に人間らしいテーマを深く抉った作品だと思う。
醜い中に、一瞬だけ見える美しさこそ人間じゃないか。
そんな意味でもこの映画は人間らしくて素敵に感じられた。


ちなみに例にも出した第三世界と人間らしさの関係も映画の核の一つなので、
それも楽しめると思います。
とても上手い監督だなぁと感じました。
未見の方は是非。

★こんな人に
僕と映画の趣味が合う人
実は善人なのに、悪ぶってる人
偽善者

★映画のお供
綺麗なボトルに入った水
ワインでも飲みながら観るといいかも

Last updated at :2009/06/28(Sun) 18:09
Publish at :2009/05/29(Fri) 15:10

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